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■年表
■07151129
■親族会議の季節考証

■独自用語

〜ベース:人間〜と性格・記憶を共有した上位世界の存在

戦人A:明日夢から生まれた戦人(本当の右代宮戦人?=すでに死んでいる?)
戦人B:明日夢以外(霧江?)から生まれた戦人(≒1986年の人間戦人≒下位世界の戦人)
戦人X:上位世界の戦人(戦人Bベース)(下位戦人のみ戦人Aの可能性はある?)

ベアトA:1950年の人間ベアト(金蔵に金塊を与えた?)(欧州王族の血筋??アジアor日本?)
ベアトB:1967年の人間ベアト(九羽鳥庵に閉じ込められていた)(=いわゆる九ベアト)
ベアトC:1986年の人間ベアト(未知の人物?朱志香??紗音???戦人A????)
ベアトD:ノート片の筆跡のベアト(ベアトC?金蔵??)
ベアトX:上位世界のベアト(妾)(悪食島の悪霊?真里亞ベース??ベアトCベース???)
ベアトY:上位世界のベアト(私)(ベアトDベース?ベアトC(≠D)ベース??)

ベアトC計画:ベアトB死亡後、代わりのベアトを誕生させる代理母出産計画を想定
 1967年の親族会議と1968年7月15日の間が約40週であることから想起
 卵子はベアトBorA、精子は金蔵(別人の可能性?)、体外受精or顕微授精を行ったと想定
 公式な世界初の体外受精成功の10年前であり、若干オーバーテクノロジー気味ではある
 人工授精は体外受精と別の18世紀からある技術、クローンはこの考察では想定していない
 必ずしも疑われる全ての機会で実行しているとは想定していない

■用語注釈

流産:妊娠22週未満
 早期流産:妊娠12週未満
 後期流産:妊娠12週以降22週未満(法令上は死産届が必要)
死産:妊娠22週以降

人工授精・体外受精・顕微授精・経済史関連用語についてはネットを参照

■年表(経済史・人工授精技術史・人物年齢考証)

〜1906年(関東大震災直後に結婚、直後=数年後なら1906年+数年)
  金蔵が誕生
〜1908年(関東大震災直後に結婚、直後=数年後なら1908年+数年)
  金蔵の正妻が誕生

1914年〜1918年
  第一次世界大戦→各国が金本位制を中断
1919年〜
  アメリカを皮切りに各国が金本位制に復帰(日本を除く)
1923年9月1日
  関東大震災

1923年(関東大震災直後)
  金蔵(17歳以上)が正妻(15歳以上)と結婚(婚約のみ??)

1927年
  昭和金融恐慌
1929年
  暗黒の木曜日→世界大恐慌
1929年〜1931年
  日本が金本位制に復帰→金輸出解禁→国内の金の大量海外流出→金輸出再禁止→金本位制を放棄
1931年〜1937年
  イギリスを皮切りに各国が金本位制を放棄(アメリカを除く)

1928年〜1935年(絵羽の2歳上)
  蔵臼が誕生
1930年〜1937年(1952年以降に大学卒業)(夏妃の3歳上)(蔵臼の2歳下)
  絵羽が誕生
1933年〜1940年(絵羽の3歳下)(1955年〜1956年に結婚(16歳以上))
  夏妃が誕生
1940年〜(1952年以降に小学校卒業)
  留弗夫が誕生

1939年〜1945年
  第二次世界大戦
1947年〜1950年頃
  学制改革
1949年
  日本初の人工授精成功(世界初は1776年)
1950年〜1953年
  朝鮮戦争・朝鮮特需

1950年〜1951年頃?
  金蔵が六軒島を入手
1951年〜1952年頃?(ベアトB誕生より前?)
  九羽鳥庵竣工
1951年頃?
  ベアトAがベアトBを受胎(金蔵の精子で人工授精?ベアトAが婚約者の冷凍保存精子を持ち込んだ??)
1952年頃?
  ベアトAがベアトBを出産
1952年〜1955年頃?(1967年?に中学生)
  金蔵の正妻(44歳以上?後妻?)?が楼座を出産(ベアトBと双子orベアトB本人の可能性?)
〜1952年(本館竣工前)
  ベアトAが死亡
1952年
  本家屋敷竣工
1952年(屋敷が建てられたのと同時に建立された)
  礼拝堂竣工(レリーフ掲示)

1956年頃(±3〜4年?)(1986年10月4日現在でかれこれ30年くらい前)(屋敷竣工より後)
  留弗夫含む右代宮家が小田原から六軒島に引越し(金蔵は1952年頃?楼座は1967年頃?)
1956年頃(±3〜4年?)(本家引越しより後)(留弗夫が小学生(12歳以下))
  森の狼の話が森の魔女の話に変わる
1955年(1956年?)(12年後に受胎(1967年)(or出産(1968年)?))
  蔵臼と夏妃が結婚

1958年
  ロンドン動物園に中国からパンダが寄贈される(日本は1972年)

1961年〜1962年(夏妃の結婚の6年後に計画)
  絵羽と秀吉が結婚(秀吉が婿入り)
1962年10月6日〜1963年10月3日(1986年10月4日現在で23歳)
  絵羽が譲治を出産(ベアトB存命中のため作為なし?)

1967年〜(or1968年7月15日?(赤での1967年(金蔵との会話シーン)とは別のシーン))
  ベアトBが死亡(転落死)(妊娠中の子供(ベアトCor朱志香or戦人AorB)が助かった可能性?)
1967年10月7日〜8日
  親族会議(ベアトC計画?)(夏妃→朱志香・明日夢→戦人A・霧江→戦人B)(明日夢・霧江共に参加?)
1967年頃(ベアトB死亡後なるべく早く)(ベアトB死亡のため再計画)
  ベアトC母がベアトCを受胎(金蔵の精子とベアトBorAの卵子での体外受精・代理母出産)
  (1986年現在で霧江が見て二十歳ちょっとくらいに見える?18歳ならあり得るか?)
1967年後半頃
  夏妃が朱志香を受胎(ベアトC計画?)(12年間不妊後この時期に受胎?)
1967年10月頃(1968年7月15日−40週±2週≒1967年10月7日〜8日)
  明日夢が戦人Aを受胎(ベアトC計画?)(恋敵と出産日が一致?)
1967年10月頃(1968年7月15日−40週±2週≒1967年10月7日〜8日)
  霧江が戦人Bを受胎(ベアトC計画?)(恋敵と出産日が一致?)
1968年頃(二十歳ちょっとが正しいなら更に数年前)
  ベアトC母がベアトCを出産(戦人AorBor朱志香と双子or朱志香本人の可能性)
1968年4月2日〜1968年10月3日(1986年10月4日現在で18歳で高校生)
  夏妃が朱志香を出産(=ベアトC?)
1968年7月15日(11時29分?or同日生まれの人物の出生時刻が11時29分の可能性)
  明日夢が戦人Aを出産(戦人Bと入れ替えられた?福音の家??)(1980年までに死亡?)
1968年7月15日(流産で正しく出産日が出産予定日の誤記なら数ヶ月前)
  霧江が戦人Bを死産?(出産日で正しく流産が死産の誤記の場合)(生存の可能性?)
1967年〜1968年(戦人出産日はまだ婚約中?)
  留弗夫と明日夢が結婚
1969年頃(±1〜2年?)
  紗音母が紗音を受胎(ベアトC計画?)(福音の家)
1969年
  嘉音母が嘉音を受胎(ベアトC計画?)(福音の家)
1970年頃(±1〜2年?)(1986年10月4日現在で6歳以降10年ほど勤務)
  紗音母が紗音を出産
1969年10月6日〜1970年10月3日(1986年10月4日現在で16歳)
  嘉音母が嘉音を出産(紗音と双子(元々一組の家具)or紗音本人の可能性?)

1971年
  ニクソンショック→金本位制の終焉

1976年前半頃(親族会議の時期ではない)
  楼座が真里亞を受胎(ベアトC計画?)(父親は出産直前に蒸発?)
1976年10月2日〜3日
  親族会議(×ベアトC計画)
1976年10月6日〜1977年4月1日(1986年10月4日現在で9歳で小学4年生)
  楼座が真里亞を出産
1976年頃(±1〜2年?)(紗音勤務開始直前)
  使用人(=戦人A??勘ぐり過ぎか)が大怪我をして退職(戦人Bが原因??)
1976年頃(±1〜2年?)(1986年10月4日現在で10年ほど勤務)
  紗音が勤務開始

1978年
  世界初の体外受精成功

1967年〜1986年(1967年に楼座が母に叱られた)(1980年としても矛盾はない?)
  金蔵の正妻が死亡

1979年10月6日〜7日
  親族会議(ベアトC計画?)(霧江→縁寿・明日夢→死因?)(明日夢・霧江共に参加?)
1979年
  霧江が縁寿を受胎(ベアトC計画?)(父親は明示なし?)
1979年末〜1980年(1980年の親族会議より前)(霧江の結婚より前)
  明日夢が死亡
1979年末〜1980年(1980年の親族会議より前)(出産に合わせて、駆け込むかのように籍を入れた)
  留弗夫と霧江が結婚
1979年10月6日〜1980年10月3日(1986年10月4日現在6歳)(1980年の親族会議より前)
(Op.Ver.Cの家族写真の日付(1986年6月17日)が誕生日なら1980年6月17日?)
  霧江が縁寿を出産
1979年〜1980年(霧江の結婚前後なら1980年の親族会議より前(逆ならしばらくは一緒に暮らした))
  戦人Bが明日夢の実家に引き取られ、明日夢の旧姓を名乗る
1980年10月4日〜5日
  親族会議(戦人Bには1986年現在で6年前参加時の記憶あり)(戦人Aは参加?)
1979年末〜1980年(1986年の親族会議の6年前)(1980年の親族会議より前?)
  戦人Aが死亡?(本当の右代宮戦人はすでに死んでいた?(ベアトの憶測?))
1979年末〜1980年(1986年の親族会議の6年前)
  戦人が罪を犯す(ベアトC?・朱志香・戦人A・B12歳、真里亞3歳、縁寿0歳)
  (六軒島・右代宮本家本宅に相応しい罪)
  (戦人(B?A?)とベアト(X?)の間のものではない)
  (戦人Bの家族・家での話ではない)
  (戦人B=Xは罪を覚えていない)(思い出せぬことが戦人B=Xの罪)
  (戦人Aならそもそも罪など犯さない)
  →ベアトCの正体を知ったから?
   戦人Aの死亡要因になったから?
   明日夢の死亡要因になったから?(親族会議より前に死亡しているはず)
   金蔵の正妻の死亡要因になったから?
   右代宮の籍を捨てたから?(罪を放置したまま6年間も帰ってこなかった)
   →1986年の参加ではなく1981年〜1985年の不参加が罪?
   魔法を否定したから?
   →ベアトCと戦人Aの信頼を戦人Bが裏切ったから?
    全員の承認で保たれていた右代宮家の何かが壊れたから?

1983年
  日本初の体外受精成功

1984年4月
  肖像画・碑文掲示
1984年
  渡来庵竣工

1985年9月22日
  プラザ合意→円高ドル安・1ドル230円台→150円台(1986年10月上旬)

1986年6月17日(Op.Ver.Cの家族写真の日付)
  留弗夫・霧江・戦人B?・縁寿が家族写真撮影

1986年10月4日〜5日
  親族会議

1987年
  総合保養地域整備法(リゾート法)制定
1987年〜1990年頃
  バブル景気→バブル崩壊(1990年代中頃まで影響)
1989年
  世界初の顕微授精成功
1992年
  日本初の顕微授精成功

■07151129=7月15日11時29分

2人の戦人の1人、おそらくは明日夢から生まれたほうの戦人の誕生日時

12桁に直すと
196807151129=1968年7月15日11時29分

2人の戦人はおそらく2人とも姓は右代宮で1968年7月15日生まれ
すなわちフルネームでも生年月日でも2人を区別することはできなかった
更におそらく2人とも男性で、父親が同じで、血液型も同じかもしれない

母親が我が子と恋敵が生んだもう1人を区別できた貴重なIDが出生時刻
生年月日ではもう1人と同じになるので誕生日時を8桁の暗証番号にした

こういう意味がある誕生日時を残すのはほとんどサインを残すようなもの
遺族に届けられた1億円はこっそりだが名を名乗って贈られたようなもの
明日夢から生まれた戦人が故人なら、その意を汲んだつもりの別人の仕業

■親族会議の季節考証

□製作日誌

[349] 遅い立ち上がり… 投稿者:竜騎士07 投稿日:2006/10/20(Fri) 03:05

そうそう、先日、次回新作の舞台は「島」かな…、と言うことで、07thスタッフ一同で伊豆諸島の某島へ取材に行ってきました。

そうそう、「島」に取材に行って重大なことが。
うみねこ、鳴いてなかったーー!
早くも仮称タイトルがピンチです。
まぁ、架空舞台なので、取材先で鳴いてなくても、劇中世界は鳴いてるということで大丈夫かな…。
全国的に分布している鳥だそうですし…。
 

□伊豆諸島のうみねこ
http://wwwsoc.nii.ac.jp/osj/japanese/katsudo/news/back_numbers/80main.html

□伊豆諸島の台風
http://agora.ex.nii.ac.jp/cgi-bin/amedas/typhoon.pl?lang=ja&number=44206

□干満差or最高最低潮位
宮古島の八重干瀬・珍島の海割れ→4月に祭り
→季節が逆の10月
→気象庁の伊豆大島・三宅島のデータでも最高最低潮位共に上がっている時期
→島の一部が海面下に沈んでいる季節?

□伊豆大島三原山噴火
1950年7月16日〜1951年6月
1986年11月15・21日 大噴火

□10月(1986年10月4〜5日=10月最初の土日=秋分から半月以内)
・薔薇は咲いている(開花時期は年2回:5〜6・10〜11月)
・台風は多い
・うみねこは伊豆諸島に居ない→台風が去っても戻ってこない

・架空舞台なので、作品世界ではうみねこが居る、という設定であれば問題はないが……
 →ゲーム盤を11月にずらすだけでも作品外の現実と一致する
  →簡単に出来て不都合がないなら現実に忠実なほうが好ましいはず
   →作品世界のうみねこの設定を作品外と変えてまで10月に拘る理由がある?
    →台風シーズンの問題?→11月でも来ないわけではない→むしろ魔法らしい
   →作品外には存在しない六軒島に、うみねこからみて本土より好ましい条件がある?
    →例えば特殊な環境を備えた天然の大洞窟など?→黄金の蝶(の正体)の棲家?
 →EP3では六軒島育ちの絵羽の記憶でもうみねこが居るはずだとなっている
  →であれば本当に作品世界では10月の伊豆諸島にうみねこが居るという設定なのか?
・カケラの海=ループ現象が前作と同一の設定なら自然現象(天候)は不変であるはず
 →前作ではルールYの発生日が一定しない→天災ではないというヒントだった
 →例えば前作で特定の日の雨が他のカケラと異なるように見えるシーン
  →某部屋の電話機がプッシュ式かダイヤル式かの差異も重ねてある
   →今作で言う幻想に上書きされた黒きマスの判別手掛かりだったと思われる

 →今作で台風到来時刻が一定しないのはカケラの海の(前作の)設定に反する
  ・台風の移動制御は人間説では実現不可能だと考えられる
  ・台風による孤立を前提としない殺人計画とも考えにくい
  ・魔法で呼んだわけでもないと仮定する→魔法殺人さえないなら魔法で台風を呼んでも構わないが
  →台風到来時刻が毎回幻想の黒きマスで上書きされている?
   →台風到来時刻が毎回幻想なら、むしろ本当は台風自体が来ていないのでは?
・本来なら台風が来ていなくとも10月の伊豆諸島にはうみねこは居ないほうが正常
 →過去の親族会議では居たという記憶とエンドロールで戻ってきたことのほうが幻想?
  →1979年までは旧暦10月開催、1980年だけは新暦旧暦2回開催説(2人の戦人がそれぞれ参加)

□11月(1986年11月8〜9日=旧暦10月7〜8日=最初の土日=三原山大噴火の数日前)
・薔薇は咲いている(開花時期は年2回:5〜6・10〜11月)
・台風は少ないが全くなくはない
・うみねこは伊豆諸島に居る→台風が去ると戻ってくる

・台風を魔法で呼ぶなら、本来は少ない(が全くなくはない)時期のほうがそれらしい
or台風は本当は来ていない説→11月で台風が来ていない場合うみねこが居ないのはおかしい
・1980年以前の戦人は旧暦10月に参加していたのでうみねこの記憶がある?
 →昭和の終わり頃に旧家が家の行事を旧暦で行うことは全くなくはなかっただろう
・不幸な事故を噴火と考えるならこのタイミングのほうが作品外の現実に近い

□6月(1986年6月17日(火)=Op.Ver.Cの家族写真の日付=夏至の数日前)
・薔薇は咲いている(開花時期は年2回:5〜6・10〜11月)
・台風は特に多くはないが珍しくもない
・うみねこは伊豆諸島に居る→台風が去ると戻ってくる

・薔薇・台風・うみねこが季節の上では全て揃っている
・Op.Ver.Cの家族写真(留弗夫・霧江・戦人・縁寿)
 縁寿の服が1998年と同じに見えるのは単なる流用?
 →思い出深い6歳の時と同じデザインでわざわざ仕立て直した?
 背景が六軒島の薔薇庭園と同じに見えるのは単なる流用?
 →季節が違うので花の種類が異なる別の庭園?
  →薔薇の開花時期は5〜6月と10〜11月→同じ庭園でもおかしくない
 →火曜日に会社や学校を休んでまで六軒島に居たのか?
  →1986年の親族会議は本当は6月だった?→それなら会社や学校も休むだろう
 →事件の4ヶ月前にこの4人が六軒島に居たならば
  →戦人は6年ぶりではなく4ヶ月ぶりの六軒島?
  →全員について過去に言及している言葉の多くが捏造の可能性?
・旧暦などの理由付けすらなく6月を10月で上書きするのはいくらなんでも強引すぎる?